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エベレスト大量遭難事故

  • 2009/01/05(月) 21:39:41

1996年5月9日午後22時、ロブ・ホール隊と言う商業登山隊(ガイド3名・顧客9名)がエベレスト(標高8848メートル)登頂を目指し、サウス・コル(標高7985メートル)の高所キャンプを出発した。無風で気温はマイナス23度であったが、これでも暖かい方であった。5月10日、やがて夜明けを迎え、太陽が登山隊を照らし始めると、雲一つない澄み切った青空が広がった。ヒマラヤの峰々が連なり、地平線がゆるやかに丸みを帯びる荘厳な景色が見渡せた。この日は、絶好の登頂日和と思われた。


登山隊は8500メートル付近のバルコニーと呼ばれる地点まで到達したが、ここで登山隊の1人、ベック・ウェザーズが目の不調を訴えた。ベックは自力で下山すると言ったが、隊長のロブ・ホールはベックが不慮の事故に遭う事を恐れて「自分が戻って来るまで、この場を絶対に動かないでほしい」と言った。ベックはこれに頷き、この場で登山隊が戻って来るまで待つ事にした。登山隊は午後14時までに登頂を成し遂げると、再びベックと合流して高所キャンプまで下山する予定であった。しかし、午後14時までに登頂出来なければ、登山隊は山が暗闇に包まれる前に、キャンプまで辿り着く事が出来なくなる。そうなれば遭難の危険が増すと共に、エベレストで酷寒の一夜を過ごさねばならなくなり、人が生きて朝を迎えるのは困難となる。


ベックはバルコニーでずっと待っていると、正午頃、3人のメンバーが下山してきた。彼らはエベレスト最後の難所、ヒラリーステップと呼ばれる場所まで登ったものの、そこで登頂待ちの渋滞が起こっていたので、午後14時までに登頂を果たすのは困難だと判断し、下山してきたのだった。彼らはベックに一緒に下山しようと呼びかけたが、ベックは隊長ロブとの約束があったので、この申し出を丁重に断った。3人は手を振りながら、下山していった。ベックは尚も待ち続けていたが、午後15時になり、午後17時を迎えても、まだロブは戻って来なかった。太陽は西に傾きつつあり、それに合わせて気温も下がり始めた。そして、風が出てきて雪も舞い始める。


ベックは不安な面持ちのまま寒さに凍えていると、メンバーの1人が下山してきた。彼は「ロブは少なくとも後3時間かからねばここまで来ないが、ガイドの1人は後30分ほどでここまで辿り着く」と告げた。そして、「自分と一緒に下りないか」と誘ったが、ベックはベテラン登山家である彼の足手まといになることを気遣って、これを断った。それから30分後、他の登山隊であるフィッシャー隊メンバー5人とロブ・ホール隊メンバー2人が下山してきた。べックもさすがにこれ以上、ロブを待つわけにはいかず、彼らに加わると午後18時頃、合計8人で下山を開始した。山では上りより、下りの方が危険である。8人のメンバーは時折、足をすくわれ滑落の危機に直面したが、その度にピッケルを斜面に打ちつけ、何とか一番危険な箇所を脱出する。そして、サウス・コル(約8千メートル)まで到達した。


このサウス・コルの平坦な雪原を1時間ほど進めば、暖かいキャンプに戻れるはずであった。しかし、ここで8人は猛烈なブリザードに襲われ、まるで牛乳の中を彷徨っているかのような状況に陥った。風は秒速36メートルで吹き荒れ、気温はマイナス51度まで低下した。凄まじい烈風が吹き荒れ、信じ難いほどの寒気が一行を襲う。素人や玄人、体力が多い少ないの程度の差があって、8人揃ってこれ以上進むのは困難となった。そこで、まだ体力が残っている3人がキャンプを見つけ出して、そこから救援を出してもらってこの場に残る5人を救助してもらう事にした。3人のメンバーは何とかキャンプを見つけ出したが、ここで彼らの体力は限界に達し、再び5人の元へ向かうことは困難であった。そこで、キャンプで休憩中であったフィッシャー隊のブクレーエフと言うガイドが1人で5人の救出に向かっていった。彼は猛烈なブリザードを掻き分けて5名の元まで辿り着くと、ここで自らの顧客であった3人を救い出した。しかし、ロブ・ホール隊の2人(ベックと日本人女性、難波康子)は絶望的であると見なされ、その場に残された。


(後日譚)当初、このブクレーエフは3人を救い出した英雄と呼ばれたが、この日、ガイドとしての仕事を放棄して単独登頂を果たすと、顧客を残してそのまま下山して休憩していたので、後に非難の声も挙がる。だが、彼は翌年、エベレストを再登頂すると、サウス・コルで仕事仲間であったフィッシャーと康子の亡き骸を弔うと、康子の遺品を持ち帰ってその家族に渡してもいる。ブクレーエフは康子を救出できなかったことを非常に後悔していたらしい。1997年12月、ブクレーエフはアンナプルナ(ヒマラヤ山脈に属する山群の総称)で雪崩に巻き込まれて死亡した。


5月11日の朝、嵐が幾分収まると、残された2人を捜索するため、キャンプから救助隊が出立した。救助隊は雪原に、雪と氷に覆われたまま並んで倒れている2人を発見する。救助隊が2人の顔に張り付いた氷を剥がすと、虫の息ではあったが、呼吸を確認できた。しかし、2人共、低体温の昏睡状態に陥っていた。超高所でそのような症状が出れば、二度と目覚める事はないとされている。救助隊は間もなく死ぬであろう2人の救出を諦め、引き返して行った。酸素の薄い超高所で人間の体を運ぶのは大変な重労働であり、命の危険にも晒される。しかし、2人はキャンプまで後400メートルの距離に倒れていたとされている。キャンプまで運んで万が一の可能性に賭ける、またはその最後を看取ってやるという選択肢はなかったのであろうか?この後、康子は程なくして亡くなったと思われる。彼女の遺体は翌年、シェルパの手によってベースキャンプまで降ろされ、そこで夫が見守る中、荼毘に付される事になる。


11日午後16時頃、ベックの方は、奇跡的に意識が蘇った。彼の両手と顔は凍りつき、深刻な低体温障害も続いていた。しかし、救助隊が彼を助けに来る気配はなく、夕闇も迫っていた。その時、彼は死を覚悟したが、不思議と恐怖心は湧かなかった。ただ心の中に湧き上がってくるものは、もう家族に会えず、別れの言葉さえ言えないという圧倒的なもの悲しさだった。彼はもう一度家族に会いたいという一心で、残された力を振り絞って立ち上がった。彼は目もほとんど見えなかったが、おおよそのキャンプの位置を予想し、その方向に向かってよろよろと歩き出した。彼は何度も転び、幻覚に惑わされながらも気力でキャンプまで辿り着いた。この後、ベックは他の登山隊に付き添われ、自力で6千メートル付近まで下りると、そこからヘリに乗って病院に運ばれた。彼は凍傷で両手と鼻を失ったが、奇跡的な生還を果たし、家族と再会してその喜びを分かち合った。


ロブの方はどうなったのであろうか?5月10日、ロブは登山隊の1人、ダグに付き添って午後14時を回り、午後16時を迎えてもまだ登山を続けていた。ダグは前年、山頂まであと僅かという所まで来ていながら、撤退を余儀無くされていた。そのため、今回の登山に全てを賭けていた。彼はこの登山中、ずっと調子が悪かった。にもかかわらず、あくまで登頂に執念を燃やし、危険を顧みずに登山を続けていたのである。隊長のロブが何故、このような行為を許したのかは定かではない。その後、2人は登頂は果したものの、ブリザードに巻き込まれてしまう。ロブは力を使い果たして、動けなくなった様だ。こうなるとロブは、ダグをサポートして下山できる状況ではなくなった。ベースキャンプからロブに無線が入り、「こうなると辛い事だがダグを諦めて、君1人で下山しろ」と呼びかけた。しかし、ロブは、そのような行為が出来る男ではなかった。彼はダグに付き添って、山頂付近に留まり続ける。ロブは無線で「こちらは絶望的だ」と答え、救援を求めた。


ロブやダグより先に下山道を進んでいたガイドの1人アンディはこの無線のやりとりを聞くと、2人を救出するため、山頂に引き返していった。アンディは体調不良で下痢に罹っており、しかも登頂の疲労が残っていた。彼はそれにも関わらず、途中、立ち寄った貯蔵所で数本の酸素ボンベを担ぐと2人の元へ駆けつけた。ロブとアンディは鋭く尖った稜線から数時間かけて、ダグを下ろそうと奮闘した。しかし、その最中にダグは足を滑らせて滑落していったらしい。その後、ロブとアンディは南峰と呼ばれる地点まで下りてきたものの、アンディはここで体力と気力が限界に達したのか、突然、ブリザードの闇の中に飛び出して行くと、二度と戻る事はなかった。 1人残されたロブは、この酷寒の夜をなんとか生き抜く。だが、彼の体は動く事が出来なくなっていた。


5月11日の夕闇が迫ってくると、最早、ロブの救出は不可能だと判断したベースキャンプでは、彼の妻ジャンに電話をかけ、無線のロブと繋いだ。ジャンはこの時、妊娠中であった。瀕死のロブは気力を振り絞って妻と相談し、生まれてくる赤ん坊の名前をサラと決めた。夫婦の最後の交信が始まると、エベレストに居た人々は皆、押し黙ってそれを聞いた。

ジャン 「あなたは1人ぼっちじゃない、今、私のエネルギーを全部あなたに送っているわ」

ロブ 「愛しているよ。しっかりお眠り。僕の事はあまり心配しないでいいよ」

ロブは気丈に振る舞っていたが、交信を終えると無線からは、彼のすすり泣く声が聞こえてきた。夜の帳は降り、彼が次の日の朝を迎える事はなかった。


1996年5月10日、このエベレスト遭難では、ロブ・ホール隊で4名、他の隊で4名、合計8名の犠牲者を出した。



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